私の出勤時間と子どもとその友達の登校時間が重なるので、朝は時々スキンヘッドのおじさんが小学校低学年4人に混じって歩いています。
ただただ子ども達の取り留めも、デリカシーも、オチもない話に耳を傾けて歩くこともありますが、大抵は何かしらのゲームが始まってスキンヘッドのおじさんも参加させられます。
先日は定番のしりとりが始まり、自発的にゲーム名しばりのルールを設定してきたのですが…
「スマッシュブラザーズ!」
(うん、うん!)
↓
「スリザリオ!」
(それポケモンの名前だけど…まあ。)
↓
「お皿割りゲーム!」
(!?)
そう、子ども達はいつだってもう何でもありのバーリトゥードスタイルなんです。
でも思ったんですよ、そこには「受容」と「ユーモア」があるなと。
まともな答えだけ並べてどんどん進んだんじゃつまらない。ふざけた答えと、それを受け入れる懐があってこそ楽しいゲームなんだと。
子ども達からそんな大切なことを教わった気がします。
ちなみに別の日に「いつどこで誰が何をしたゲーム」をした時、これは闇鍋みたく一人ひとりが「いつ」「どこで」…というキーワードを準備しておかしな文章を作るゲームなんですが、結果『地球が生まれた日、刑務所で、校長先生が息をした』という文章ができあがりまして。
学校に着くと、校門で挨拶する校長先生に向かって子ども達が無邪気に「校長先生、刑務所にいたんでしょ?」と話しかけるもんだから、慌てて説明して火消しをしたのは言うまでもありません。
嗚呼、大人として生きるのは大変ですね。
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