会社を定年退職し画家になりたての頃、ある出版社の「旅スケッチ企画」の依頼を受けて、私は能登をまわる旅を提案し、そのスケッチ集の1枚として描いたのがこの絵です。
まさに今回の地震で大きな被害が出た震源地直下にあたる場所で、この絵は、稲田の柵を描いたものです。
今この絵を見ると、この風雨にさらされた1本1本の木を能登人とすれば、お互いが強い絆で結ばれているそんな絵に見えるのです。
私の生まれ育ちは石川県白山市でしたが、能登も同じ県内、その当時は同郷意識がとても強く、何度も何度も能登に冒険のような旅をしました。
ある時はお寺の仏像の前で布団を敷き、又ある時は出会い頭に出会った知らない方のお宅で何泊かさせてもらい、そしてある時は和倉の名旅館・加賀屋でサービスの神髄を堪能しました。
その旅を通して多くの能登の方と接し、その人情の温かさに思うことが多々ありました。
一言でいえば能登の方はとても温かく、ああこんなに温かい心が日本に残っていたんだ!としみじみ感じたのです。
そして、これからの復興のカギとなるのは、能登人の温かい心の広がりだと確信しています。
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