メニュー

COCO-HOUSE(ココハウス):鎌倉・葉山・逗子など湘南の不動産・賃貸・住宅情報が満載!

  • お問い合わせ
  • ログイン
健二郎日記

「赤とんぼ」に込められた深い意味

カテゴリー:
  • 2018年03月25日

童謡「赤とんぼ」の歌には、深~い意味があるのです。

 

夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先

 

作詞家三木露風によって「赤とんぼ」が作詞されたのですが(大正10年に発表・作曲は山田耕作)、詞の内容は露風自身の幼少時代の実体験を素に書いたものと言われています。
露風は5歳の時両親が離婚することになり、以降母親とは生き別れで祖父に養育されることになったのですが、実際は子守り奉公の姐やに育てられ、そのときの印象を歌にしたものです。
だから詞の第一節の「おわれてみたのは」を漢字で書けば「追われてみたのは」ではなく、「(背)負われて見たのは」であり、姐やの背中におんぶされて肩越しに見た赤い夕焼けという意味なのです。
姐やは数えの15歳で嫁に行ったのですから、当時の農家は赤貧のため口べらしもあっての子守り奉公をし、その次に若くして嫁いでいったわけですが、嫁入り先も農業の労働力として、働きづめの一生を送ったのでしょうね。
また、「お里の便りも絶えはてた」の意味は、お母さんは離婚し実家に出戻るのですが、そのお母さんが息子を不憫に思い、実家の近くの娘を子守り奉公に出すように図り、彼はお母さんには会えないのですが、時々実家に帰る姐やを通じてお母さんの消息を聞くことが出来、お母さんも姐やを通じて息子の消息を知ることが出来たのですが、姐やが嫁に行くことになって、もうお母さんの消息も途絶えてしまったという悲しい意味なのです。

詞や文章の力は、その裏にある実情をくわしく知らなくても、書き手の気持ちがそれとなく伝わる不思議な力を持っています。
「赤とんぼ」の歌に物悲しさと切なさを感じるのは、作詞家の万感の思いがそこに込められていたからであり、その悲しさは「日本の心」そのものだからこそ、この歌は国民唱歌として時代を超えて歌われるのではないかと思っています。

 

 

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です