ある調査によると、最近の大学生の4割はまったく本を読まないとのことです。
これは日本の将来にとって大変深刻な事態であると、多くの有識者が嘆いていますが、本当にそうなのでしょうか?
私は現役時代は読書の虫だったのですが、停年退職を期に本を読まないことに決め、15年間それを実行しています。
そのひとつとして本棚に並べられた本を整理することに決め、うんざりするほど重い本も何回にも分けてリサイクルショップに持っていき、ついでに新聞の購読を止め、雑誌ともおさらばし、我が家から印刷物はほとんど消えてしまいました。
ガランとした本棚を見つめ、これからはより知的で感性豊かな人生を送ろうとする第二の人生を心に誓い、現在に至っています。
ノーベル賞科学者の利根川博士は、受け身で情報を得るより、自分で好奇心=疑問を持ち、それを解決するために積極的に考えそして情報を探す、それこそ本当に身に付く知性になる、そんな話が深く心に残っていました。
本を読まないといっても、仙人のような情報疎遠の生活を送っていたわけではありません。
デスクトップパソコンとアイパットを情報機器として、フル回転させる毎日となりました。
な~んだ、新聞がインターネットに変わっただけじゃないか!と思うかもしれませんが、新聞とインターネットは全く違うのです。
新聞を広げれば、情報が受動的に飛び込んでくるのですが、インターネットは自分の意思でテーマに立ち向かわなければ、何ひとつ情報を得ることが出来ないことです。
逆に言えば、圧倒的な好奇心と感動する心を持っていれば、インターネットは深くそして広く情報を得ることが出来るのです。
もうひとつの大きな理由は、本格的に絵を描き始めたことにあります。
絵を描くとは画用紙に絵筆を走らす作業(だけ)だと思っているでしょう。
実は絵を描く全行程を10とすれば、画用紙に絵筆を走らす作業は3ぐらいで、後の7は考える作業なのです。
感動をイメージし、頭の中にそれを構築していく作業で、その思考の7の作業の良し悪しで、絵の良し悪しのほとんどが決まってしまうのです。
つまり絵を描くことは、自分を信じ、誰の助けも求めず、思考するそんな作業なのです。
そして今ブログを書いていますが、文章は15年前よりうまくなったかどうかはわかりませんが、アイディアの引き出しが確実に多くなったことを実感しています。
私の生活から本がなくなった分、確実に知的レベルも感性レベルも向上したと確信しています。
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