鎌倉を歩けば、古刹名刹 歴史の息吹に
吹かれっぱなしになりますが・・・
有名どころばかりじゃ面白くないですよね?
はい、そういう御仁にはと、
先日ご紹介した、七曲り坂(177段)を登り切った
ところにあった、「玉縄城」について、
本日はひと語り
今(現代)は、緑地として保存されている「玉縄城址」
512年前、1512年(永正9年)、北条早雲(伊勢宗瑞)によって築城された
「玉縄城」は、戦国時代の広大な山城で、「東国無双の名城」と言われたそうです。
この説明書きが確かならば、確かに広大!! 高台!
そういえば、緑地を登ってくる途中で・・・
大船観音様の後頭部が、眼下に!
というくらい(標高50~70m)の高台です。
そう言えばですが、清泉女学院の北東に位置する住宅地(分譲地)は、
「早雲台」と呼ばれています。
北条早雲に因んだのでしょう。
本丸があった場所は、今はこんな感じです。
色々と立て看板が語っております。
蝉の声が染入ります。
「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
再び引用 恐縮です。
歴史編 つづく
by ケンシロウ
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