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ケンシロウ日記

「新鎌倉」? 大船田園都市開発? vol.2

カテゴリー:
  • 2021年01月28日

お待たせいたしました!(いや、誰も待っていないか?)

「田園」と名のつく建物など、やはり「ケン散歩」で歩いて

写真を撮ろうと思っていて、いつの間にか時が過ぎてしまいました・・・

 

ということで、既に忘却の彼方に・・・の方はこちらをご面倒でも

今一度ご覧ください! ↓↓↓

「新鎌倉」? 大船田園都市開発? vol.1

 

 

※各画像はクリックすると、拡大されますので、なるべく拡大して見て頂けると

幸いです。

まずは、大船田園眼科さん

 

そもそも、大船に田園という名前の名残りがあるのは、

大正時代まで遡ります。

 

「田園都市」とは、産業革命時代のイギリスに端を発する「都市計画」

で、やがて日本にもその思想が入ってきました。

東京大田区の田園調布、田園都市沿線に広がる多摩田園都市などが、

知られていますが、その構想が、いや実際にその計画を実行したのが、

「大船田園都市」計画、だったということです。

 

田園薬局さん

 

大船は、別荘地でもある鎌倉、逗子、葉山、そして時代とも言える

海軍基地が横須賀にあり、どちらにもほど近く、東京まで電車1本で

出られるという立地から、選ばれたということがあったそうな・・・

 

デンエンビル

 

1921年(大正10年)、銀行家「渡辺六郎」氏により、

「大船田園都市株式会社」が設立され、それこそ田園風景の広がる、

大船駅東側エリアの土地の買収が始まりました。

 

それは「新鎌倉」と呼称され、区画整理された、道路、住宅のみに留まらず、

公園、児童遊園地、劇場、運動場、クラブハウス、テニスコートなど、

文化的な施設も含めた、一大都市計画でした。

 

 

余談ですが、田園薬局さんから次の「田園」に向かう途中、

昼時の行列に遭遇・・・ミスタードーナツさんに並んでいる様子、

例の「ピエール マルコリーニ コレクション」ですかね?

っていうのをミスドのHPで調べていたら、昨日1月27日は、

「ミスタードーナツ創業の日」だったそうで、その日の売り上げの

一部は、障害を持つ方への、自立や社会参加に役立てるための

「ダスキン愛の輪基金」に寄付しているそうです。

 

遭遇とドーナツだけに、So Good!So Sweet!

 

ちなみに行列の撮影日は26日ですので、寄付のために

並んでいるのでは無いと思います・・・

 

脱線しましたが、ミスドの歴史にも触れることが出来ました。

 

さて、

田園印刷所さん

 

 

街の景観を統一する意味で、建物は洋風に、高さや面積にも制限があり、

今で言う風致地区や景観地区条例になどに繋がる、構想だったようです。

今も大船駅東口側に道路の整理された区画が残ります。

(Google Map より)

 

大船駅から東に真っすぐ延びる「芸術館通り」

 

 

しかし、大正時代は波乱の時代・・・

(鬼滅の刃でも語られていますね、鬼が出るとか?)

1923年9月1日に発生した、関東大震災により、土地は売れず、

造成工事も進まず・・・やがて金融恐慌により、親会社の東京渡辺銀行は

営業停止となり、ついには1928年(昭和3年)に

「大船田園都市株式会社」は倒産してしまいました。

 

こうして、「新鎌倉」構想は頓挫してしまい・・・

 

つづく    by  ケンシロウ

 

 

 

 

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浦島 賢志郎

浦島 賢志郎
業界暦38年
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